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2011年カプリ賞:カプリ島出身の詩人ステファノ・フェデリコへの特別な言及

Capri Press, 2011年7月17日

ヴァレンティーナ・コッポラ (Valentina Coppola)

カプリ島では夏の数ヶ月の間にさまざまなイベントが行われます。今年、もっともオリジナルで印象的だったのは、2011年カプリ賞です。今年のカプリ賞は日本に捧げられ、イタリア人にもよく知られている著名な作家のよしもとばなな氏が受賞しました。彼女の代表的な作品は、「キッチン」、「ムーンライト・シャドウ」、「N・P」などですが、彼女の直接的でありながら詩的でもあるフレッシュなスタイルにより、1991年に「キッチン」の出版は文学界に旋風を巻き起こしました。「日出ずる国」の受難、勇気、尊厳は式典を通じたテーマでした。

彼女の最新作「High and dry (はつ恋)」は来週、書店に並ぶ予定です。よしもとばなな氏は賞に対する感謝の意を表し、日本に壊滅的な打撃を与えた津波の悲劇を題材とした未出版の作品「ばらの花」を朗読して聴衆を魅了しました。

カプリジャーナリズム賞はヴァーマン・クセンザ氏に授与されました。クセンザ氏は”Il Mattino”紙の編集者で、この南イタリアの新聞の精神的支柱となる勇気と権威をもたらした功績が認められました。

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ステファノ・フレデリコの折り紙

このイベントでは著名人の顕彰と平行して、カプリ島出身のある若者が感情と詩情に満たされた雰囲気の中で追悼されました。1月16日に警察が捜査中の事件のため32歳で夭逝したステファノ・フェデリコ氏の詩作について言及がなされたのです。賞はカプリ市長のチーロ・レンボ氏とカプリ賞総裁のクラウディオ・アンジェリーニ氏により授与されました。

ステファノは日本と日本文化に心から憧れていて、日本語を独学で学び、流暢に話し、書くこともできました。漢字の知識も豊富で、日本人からも一目おかれていました。

彼は日本を数回訪れていて、とくに京都には多くの友人がいました。作詩は彼が好んで用いたコミュニケーションの手段でした。彼は日本旅行につき以下のように書き残しています。「私が日本庭園の美を見たとき、衝撃で息が止まりそうになった。だが、言葉は失わなかった。」

彼は武術や書道などさまざまな日本文化の練習をしましたが、なかでも折り紙は特に優れていました。彼がカプリのあちこちを歩き回り、日本から取り寄せた色とりどりの紙から動物、花、幾何学模様などを作り、プレゼントされた友人たちを驚かせたものです。

彼の折り紙の技術は非常に卓越して、あたらしい形を創作する域に達していました。彼がもっとも誇りに思っていたのは、フェニックス(不死鳥)でした。

彼は禅の思想および武士道との関係についても学びました。禅は彼の人生観の基礎となり、あまたの作詩の源泉となりました。「日本」と題した詩は、式典にてクラウディオ・アンジェリーニにより朗読され、本年のカプリ賞の対象となった国でもありますが、禅の思想に満ちたものです。この詩の素晴らしさは、よしもとばなな氏への受賞式でも「日本人を特徴づける繊細さと精神性をもって書かれたもの」として脚光を浴びました。このような特質は、「魂は説明がつかない。その他のものについては、折り紙の技術がある。」と書いたカプリ出身の若者の人生に申し分なく反映されていたのです。


©2011 Capri Press


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